学生時代から本当に
人間関係のトラブルの絶えない人間であった
友達の取り合い
悪口の書いた紙を机に置かれる
廊下を通ると悪口を言われる
グループではぶられる
その他etc
毎年毎年それらを積み重ねると分かってくる
自分がダメだから人間関係のトラブルが
起きるのだということが
だって他の人はそんなこと起きていない
私がいるところで
そんなことが起きるんだから私が原因だと
思い出すのが高校時代の最後
サプライズで誕生日ケーキを用意してくれた
そのために呼び出しを受けたのだが
どうせまた悪口とか何か文句を
言われるんだろうなと唯一
信頼できる人に頼んでついてきてもらった
ケーキを食べるときに
信頼できる人の分はなくて
微妙な空気になっていた
言い訳をするとそれだけ
その人たちのことを
信頼していないということだ
経験は人を変えていく
立派な人間不信がここに育っていったのだ
話は続く
そんな私でも恋人ができた
よくある話では女子同士では
うまくいかなかったけど
男の子とは仲良くおしゃべりできるみたいな
私ももしかしたらそうかもしれないと思った
希望を抱いていた、若いな
結果ボロボロに振られた
たった一回振られただけで…
みたいな恋愛達人のありがたい
お説教が入るかもしれないが
この件は完全に私を人間不信にさせるには
十分すぎる出来事であった
それ以降女も男も丸ごと信頼できなくなった
だって自分以外の人間は自分を傷つけるから
怖いから、自衛のためにだ
この前取引先の人(一般的にはこう言うしかないがありがちな名称である)と結構仲良くなった
好きとかそこまでじゃない
お互い嫌いじゃないとは思っている
それはさすがの私でも分かる
でもそこから発展とかを思うと恐怖に苛まれた
(発展を思う事自体話の飛躍だし
そういうところが人間関係の薄さによる
経験値の無さが原因の思考回路なのは重々承知)
結局最後は悪口とか振られるとかに
なるしか未来はないなと思ってしまうのだ
また傷つくのかと
傷つくためにビクビクしながら相手の反応を見ないといけないのかと
そう思うともう新しい人間関係は構築できない
正確に言うと構築そのものはいい
深く入り込んでこないでほしい
やわやわの心はそんな強くないのだ
SNSは見たり参考にするのはすごく好きだ
新しい知識を得るのが単純に好きだから
だけどLINEみたいなやりとりは苦手だ
相手の反応で一喜一憂するから
一憂の時に辛すぎるから
人脈は必要だけど
深くは入ってこないでほしい
お互いジャンルの重なるところで
浅い話をしたい
これは多分もう変わらないポリシーだと思う
1人になりすぎるのもよくないと
いまだに言われることがあるが
他人といる方が辛い